プロダクションノート

映画の生い立ち

本作の奥村盛人監督は、元高知新聞記者という異色の経歴の持ち主。舞台となった高知県黒潮町も、記者時代に取材を担当した自治体の一つだった。奥村監督は「映画をつくる」という青春時代の夢を追い、30歳で新聞社を退職し上京。夜間の映画学校へ通いながら長編映画の構想を練り、学生時代を含めて12年間暮らした「第二の故郷」高知県を処女作の舞台に選んだ。そもそものプロット(脚本の骨組み)は映画学校時代に提出した課題の一つだったが、本格的な脚本化にあたり、取材や生活を通じて見聞きした漁師や障害を抱える親子の生活、さらには地方経済の現状や地方に住む若者たちの想いを随所に盛り込むことで作品の厚みを増した。映画学校で出会った仲間たちからも『月の下まで』の映画化を望む声が多数あり、奥村監督は上京からわずか1年で長編映画の制作に取り掛かることになった。

黒潮町、高知県の応援団

インディペンデント映画の宿命ともいえる低予算かつ短い撮影期間が撮影隊の悩みの種だったが、ロケ地である黒潮町の方々や高知県の方々の熱烈な応援により、作品はインディペンデント映画とは思えない内容に仕上がった。撮影隊とキャストは全て黒潮町の漁家民宿に「民泊」させていただき、撮影以外の時間も黒潮町の方々と交流を深めた。出演者には高知県で活躍している舞台俳優数名が加わったほか、多数の高知県民にもエキストラ出演いただき作品の世界観を醸成。また、年に一度の「曽我大祭」当日に役者が町民とともに神輿を担いで演技をするなど、町を挙げての全面的な協力体制が映画の完成を後押しした。

映画祭や上映会での反応

『月の下まで』はベルリン国際映画祭ノミネート作品などハイレベルな作品が顔を連ねる「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」にノミネート。2012年の長編コンペ12作品の最多動員を記録した。さらに同年の「TAMA NEW WAVE」では主演の那波隆史が最優秀男優賞を獲得するなど作品、演技に対して高い評価を得ている。また、同年にはロケ地の黒潮町で完成披露試写会を開き、多くの町民が涙と拍手で作品の完成を祝福した。

そして、公開へ

2013年、作品に取り掛かってから3年の歳月を経て、いよいよ『月の下まで』が出航する。様々な難局を乗り越えて辿り着いた船出だが、本当の旅路はこれから。高知県をはじめ全国の方々に映画をご覧頂き、これまで以上に大きく育てて頂けるよう、全速力で『月の下まで』は大海原を進んでゆく。

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